塩田屋の歴史と現在

塩田屋の歴史と現在

歌舞伎町の由来

 新宿をはじめ東京の街は、第二次世界大戦で一面消失し、戦後復興の過程の中で新たに作り上げられたところも多い。そうした町の中で、とりわけ歌舞伎町は他と違い、町民がいち早く復興協力会を立ち上げ、民間主導で復興都市計画を進めた稀有なエリアでした。

 淀橋区角筈(つのはず)一丁目北町(現在の歌舞伎町)の町会長であった鈴木喜兵衛の計画する新しい町は、芸能施設、映画館、演芸場、ダンスホールなどの施設群と、その周囲に店舗住宅やホテル、大宴会場、公衆浴場を配するというものであった。

 復興事業に賛同した、東京都建設局の石川栄耀(ひであき)は、「新たな街にふさわしい文化的な香りのするモダンな町名」を、まちづくりと合わせて模索していた喜兵衛に「復興計画の目玉は歌舞伎劇場の建設だから、ずばり歌舞伎町はどうだろう」と提案し、1948(昭和23)年4月、歌舞伎町という新しい名が認可された町は、電気、ガス、上下水道などが整備され、街路樹の移設なども行われました。電線の地下埋没といった景観にも相当配慮された計画だったようです。
 その後歌舞伎劇場は建設されませんでしたが、町名だけ残りました。

(歌舞伎町文化新聞より)

さくら通り昭和33年1月
さくら通り昭和33年1月
歌舞伎町1丁目周辺(大和銀行が現在のドン・キホーテ新宿歌舞伎町店)
歌舞伎町1丁目周辺
(大和銀行が現在のドン・キホーテ新宿歌舞伎町店)
元コマ劇場周辺昭和40年頃
元コマ劇場周辺昭和40年頃
西武新宿駅昭和40年頃
西武新宿駅昭和40年頃

※写真提供:歌舞伎町稲荷鬼王神社様

塩田屋の歴史

 昭和26年、塩田屋の創業者である本間勇は、早稲田大学在学中ランニングシャツにズボンの裾を捲り、自転車に“おつまみ”を積んで歌舞伎町を中心とするバーやスナックに売り歩いていました。当時のおつまみは一斗缶入りで量も多く、量り売りでした。蓋を開け閉めする為、最後の方は湿気てしまい、お客様に提供できません。

「一斗缶から量り売りで卸すのではなく小袋に詰め替えてはどうだろう。手間はかかるが使い勝手がいい。湿気っていないおつまみは飲みにいらっしゃるお客様も、飲み屋さんも嬉しいはずだ。」

 いまでは当たり前の小袋に分けたお菓子や珍味も、当時はお店で量り売りしていたものです。

 この商売が歌舞伎町の飲食店に大ヒット。昭和33年歌舞伎町に商事会社を設立します。
 当時の歌舞伎町周辺は空き地もまだ残り、工場や一般住宅がまだ多く、現在の歌舞伎町とは思えない景観だったようです。

 新宿コマ劇場(現在の東宝ゴジラビルの前身)が昭和31年に竣工し、他の施設も次々と完成していきます。映画館、スケート場などの娯楽施設に魅かれ人が集まり、人が集まることで飲食店が次々とできました。歌舞伎町の発展と共に、勇のおつまみ販売も好調でした。

 昭和35年になると西大久保一丁目(現在の歌舞伎町2丁目)に珍味や飲料、食料品の小売店を開店します。当時は店舗の奥が住まいになっており、夕方になると店内に夕餉の魚を焼く煙が流れてくるという、「三丁目の夕日」的な風景だったそうです。

「おつまみだけでなくお酒も売れば取引先も便利だし儲かる。」と考えた勇は、お酒の小売販売免許を取得します。
 昭和41年に酒類小売販売免許を取得し本格的に酒類販売がスタートします。
 お酒の免許取得と共に、屋号を『塩田屋』と商号変更しました。これが『酒と珍味の塩田屋』の始まりです。酒と珍味を歌舞伎町の飲み屋さんにお届けする事業が本格的にスタートしました。

 小売販売免許だけでなく卸売免許も取得し、酒類、珍味、調味料などの飲食店への卸事業、店舗での小売販売事業は、歌舞伎町の繁栄とともにますます隆盛を極めます。魚を焼いていた住まいを店舗に拡張し、倉庫も作りました。それでも日々配達する商品は道路にまで高く積まれ、次々と飲食店様に届けられます。

 昭和47年、都電が歌舞伎町から無くなるころに、眠らない町歌舞伎町のお客様のため、小売店舗が24時間営業を開始します(セブンイレブンより早く24時間営業が始まりました)。
 いつでも欲しいものが揃う。飲食店様にとって、無くてはならない存在になりました。
 ある飲食店さんの言葉は地域に根差した商売を続けていたことを物語っています。
 曰く、「歌舞伎町で塩田屋を知らない? そりゃもぐりだ!
 歌舞伎町で働いている方、遊びに来ている方々には有名なお店が塩田屋でした。地域密着の商いをしているからこそ生まれた言葉かもしれません。(ビートたけしもラジオで塩田屋の事を話していました。歌舞伎町に遊びに来ていたのですね)。

 売上が右肩上がりに増えるなか、近隣の土地に、飲み屋さんが入居するビルを建設します。飲食店を経営する入居者さんに、お店の開店から“繁昌のお手伝い”をモットーに、メニュー提案、酒類やソフトドリンクにおつまみのご提案、グラスやビールサーバーなど備品の手配、清掃業者や、おしぼりなど関連業者の紹介などをご提案する営業活動が本格化していきます。

塩田屋の現在

 現在も『業務用酒類食品卸部門』『業務用スーパー』『不動産』の三部門が当社の柱です。

 『業務用酒類食品卸売部門』(営業部)は、現社長の提案でいち早く全国チェーンのお客様の為、代配ネットワークを構築し、全国に商品供給を可能にしました。地域の酒販店と契約し、仕入れた商品を代配していただくシステムです。
 お酒を売るには免許が必要です。飲食店様に売るには、問屋から仕入れて販売する「小売免許」、醸造元から直接買った商品を販売する「卸売免許」があります。当社は両方の免許を取得しており、全国の醸造元から商品を仕入れることが可能です。
 営業部員は、飲食店様へ新しい情報の提供だけでなく、売上アップを提案できる「提案型営業スタッフ」の育成に力を注いでいます。

『不動産』部門では、歌舞伎町にある自社ビルを飲食店に賃貸しています。営業部が入居された飲食店様をサポートしております。

『業務用スーパー』(小売部)は、業務用スーパーShiodaya新宿店、池袋西口店、プロマート赤羽店の三店舗を運営しております。業務用のお客様だけでなく、地域にお住いの一般顧客や外国の方へも品揃えでお役に立てるよう努力しております。